いつでも美味しい魚はいない。
いつまでも綺麗な桜はない。
いつでも綺麗なアゲハチョウはいない。
この国は一時の美しさだけをニュースにして、それを褒め尊ぶのがお好きらしくて、汚い蛹には美学を感じない人をつくる政のよう。
腐りかけのナイフがきれるように、ひとときに存在意義をしぼるとチープに感じる。
価値を共有できる人は多くなくていい。すくなくていい。
寂しいときに抱きしめてくれるだけで、それが恋人や家族でなくともそれでいいとおもう。
だって、いつでも脂ののったカツオは飽きてしまうわ。
それぞれが美味しいときがあるわけで、そのときそのときでいいじゃない。
そのときそのときに合う美味しいものをたべたり、それと一緒に旬になるまえのものをいただけばよろしい。それなりに美味しいし、もっとおいしくなるかもしれない希望が付いてくるじゃない。
ぼくがだれか一人だけを愛することをできないように、女性だけを愛するわけではないように、美味しい時間だけを愛さないだろう。きっとこれからも。
通な変人は病的な時間をも好むのかもしれません。
いちばんはいちばんよくないこともある。
なんか、人から評価されることに必死だった人が躁鬱病になったら、
賞賛がこそばゆく、怖く、違和感を感じてしまう人になったようだ。
うむむ、なんだかおかしいや。そんなのおかしいや
やることのない、暇すぎるぼくはそんなことをおもったりしながら今日もたばこをすう。
7ヶ月
これはひきこもり生活を初めて経過した時間です。
実は髪の毛っていうものを全く切っていなかったのです。ステカムライブでは、あまりにのびきった前髪をちょんまげにして(英語では1本結びはすべてポニーテールというそうだ)しゃべったりと、結構きもいことになっていたのですが、ようやく外にでて髪の毛を切ることにしたのです。
ちょっと横道にそれるけど、髪の毛きるのってすんごくハードルが高いことなのです、ぼくにとって。それは知らないところに自分から電話して、髪を切りにいくのに車を運転して、知らないお店に入って、自分のイメージを伝えて、美容師さんとトークを無難にこなして帰る。という一連の作業が精神的にハードルが高いの。
ぼくは郵便物や宅配を受け取ったりするのが苦手、送付するのはもっと苦手。切手をはったり封を閉じたりポストに逝くっていうのが出来ないのです。同じような感じでゴミを投げるのに運んだり、洗濯物をしたり、掃除したりするのも苦手。最初の一歩はベルリンの壁並みに高い。
そんなぼくが髪を切ろうと思ったのは奇跡に近い。
そして切りにいきましたよ。
一応before→aftterがあったほうがおもしろいかな、と思って写真的なものをとりました。
before2枚

病気っぽい感じが出ていて、非常に危ない。4月くらいのご飯食べれない時期の写真なので痩せている。

美容院の直前で1枚、こんな感じでした。前髪はくせ毛。にしても眉太いなーwカットしなきゃなー
afterの1枚

ハチまわりをすっきりしてみました。くせ毛を活かしてパーマっぽくしてくれました。もうちょっとのばしてみる予定なので、両脇が後ろと同じくらいになるまでは当分切らないでしょう。後ろは実は首の根本まで来ているのでだいぶ長いです。
ご飯を食べ過ぎる時期なので太っています。薬の影響もあるのだろう。またいずれ痩せることもあるだろう。いくらか痩せて小顔にみえるようにしないとロンゲデブの引きヲタ以外の何者でもない。
*****
ああ、ロングの似合う素敵な男性はグラマラスでいいなあとおもう。ぼくには難しいだろうが。
ぼくの尊敬するギタリスト、ヒラマミキオさんのかつての美しい長髪がたまらなく綺麗でセクシー。

美しい人は、それだけで癒されるよね。
最初にお話しするのは前までMOROがやってた仕事を知っている人向けの話です。わかんなひとはさーっとスルーしておくれ。
前までの仕事に物理的な意味での仕事が終わりました。諸事情によりアレを別の保管場所に移動させたのです。おそらくぼくにとって最後のラストランになったと思います。
アシストが効かない上に、あまりに落ちた筋力のぼくには非常に辛い作業でした。
おそらく、この街で人目にがっつり触れるのは今日が最後だったのだと思う。まだ最終輸送搬出とかはあるかもしれないのですが。
涙も出ない。感情も失ってしまったことに気付いて、それが悲しい。人に笑顔を振りまいて挨拶していた自分とか、案内していた内容が頭をニコ動のように横切る。
よく無茶な仕事やってたよな、と感じたり、病的(まさに)な異常テンションに付いてきたスタッフのみんなはすごいなあと感心したりしました。
いまだに人と話すの嫌だし、怖いんだけど、病気を盾にしてしまって生き延びたりしている。そんなスタイル、良いか悪いかはわからないけれど自分を守るためにそうなっているんだろうな。
ずいぶん病人みたいで、死神みたいだ、といわれた。
死神か、このなりで神様なら立派なもんだ。
*****
今日はありがたい贈り物を頂きました。絵本です。
東京でばりばり悩んでいたときに出会った素敵な関西の女の子からとどいたのです
難しい本が来ると思っておどおどしたけど、絵本でかえって拍子抜けして嬉しくなってしまった。
病気だからとおもってすごく良い絵本セレクトしてくれた
ひどい人にもたくさんであったけど、素敵な人もいるもんだね。
おもわず嬉しくなりました。ありがとう。
なんというか、人の配信を聞き終わったころって何とも言えない虚無感みたいな嫉妬心スパイスを感じるのはなぜだろうか?
自分にないものをもっているなあとか、単純にリスペクトする気持ちですら自分と比べたり、重ねたりしてしまうのがくだらなくて、もうちょっと楽になったらいいのにな。
自分のタレントを活かせない人がほとんどだと思うけど、そういう中で、自分のことをあげたり下げたりする日々はつまらないよね。評価は自分でするものであって他人がするもの。って感じ。
ぐわっとでかい波が来たときの自分も好きだし、こういう凪のときの自分も好き。
そういうことにしておくしかなさそうだ。
ああーライブで良い出会いもあるけど、ときたま人が少ないのが難点。まあ夜中の3時だったらしかたないかw暇な人はぜひ気軽にチャットとか入ってみてね☆
おとことかおんなとかって、なによ。
なんだかねばならない象徴のようで、そういうのが嫌い。
出会い系とかで私は男欄と女性を求めている欄が一緒になっているのをたまたま見た。(出会い系のサイトにいったのは出会いを求めるためにいったわけではないことは断っておく。)
そもそも、この世には性別を問う質問が必ずあるが、実際そこまでその質問項目は活かされていないような気もする。マーケティングとして女性特有のもとのであったり男性特有のものであるならまだしも、わけのわからんもので男女を書かせるものがあるものだ、とかつて友人と討議したことを思い出した。
男っていうのはアホやなあと、関西人でもないぼくがエセ関西弁をつかうほど、アホだと思う瞬間が多い。かくゆうぼくも男でアホであるわけだが、薬のせいか、性欲というのがちょっと人と違っている。
いっそ男からも脱したい。人間からも脱したい。
Oっぱいもチソコもない、生殖すらない世界にいたいと思ってしまう、中2病なぼくはどうも意識不明の重体なようです。有性生殖の多様性がたまにぼくを疲れさせる時がある。
本能のおもむくままきずつけられたり、きずつけることは、あまりひとをハッピーにしない。
なんだか、くだらないなぁ。

MOROのいえです。
ミキサーマイクスタンド、ギター、お気に入りのヘッドフォン。
愛機Mac Book
いつもライブ中は、キャンドルを灯しています。
角ロックしかのまない。
火を見ていると安心する。ガラムに火をつけるのもマッチがお気に入り。
こうしてみると、なんだか好きなもの、こだわっているものがたくさんあるんだね。
それで十分で居続けてしまう、十分以上を求めること。
2つの自己矛盾のなか、平気な顔をしているじぶん。
ボヘミアンにいきる、って決めたんだ。
あたしのことです。
おそろしいほど、楽しかったりそのあとに待ち伏せしているものにすごく違和感ある不安感をおぼえたりする今日このごろです。おそろしくテンションが高かったり、人と異常に接点を持とうとしている自分が怖かったりすることもあります。ライブも人がはいっているだけで高揚感があっておそろしい。
躁状態はハッピーな状態だといわれるけれど、実際のところ集中力散漫で順序立てて思考することはむずかしいのです。消費欲がはげしくお金がなくなる人も多いと聞きます。中には暴力性のある言葉を無意識的に人に浴びせてしまう人もいるそうです。
人間って面白いね。
今日は難しいことをしっかり話せるゆっくりとした時間がいただけました。なんか、うれしいよね。大好きだよ。ありがたいなあ。
傷つけたり傷つけられたり、癒されたり癒したりするんだね。
人間って変だね。
*****
今日消費欲にかられて、マイクスタンドとギタースタンドを買いました。
今度気が向いたときにでも写真うpしてみようかな。
そしてsony製のノイズキャンセリングヘッドフォンを手に入れました。(いただいた)
ミキサーにshureのマイク。5.1chのサラウンドシステムに最高級のNCヘッドフォン。ギターにハープ。
まるでスタジオかDJルームのようになってきている自室が好きです。
キーボードとかシンセサイザーにも興味が出てきたり、PCDJ用のソフトウェアやターンテーブルもほしいなあとおもったり。
最近音が大好きでPAが大好きで仕方ないです。
やっぱり神様は音に近いってのはあながち嘘はないなあと思ったのです。
*****
今日はバイの子にライブで会えたよ。同様の感性を共有できるっていうのも嬉しいなあ。
おんぶにだっこな自分の生活。
甘えられるうちに甘えるのもいいとおもう。
責任とれない自分が、責任ある収入をもらえない。ということは自給自足できないかぎり死ぬ。
好きなことと責任とれることはちがう。
とはいえ、結局みんなそんなこと考えないで働いていたりするものだ。
ということは、無知あることが強いってことだ。
経営者のとき、そういうこと考えないと給与的に見合わなかった。
いまになるとふつーな視点で考えるとなにマジになってんの?ってかんじ。
自分のまじめさと理屈っぽさがなんだかキナ臭い。
ちょっと自分のことを書いてみる。まあdqnな話ですが。
12歳のとき、ぼくは世界で一番賢いと思っていた。あの時ぼくは異常なくらい勉強していたし、異常なほど読書に勤しんでいた。1日文庫本2冊は当たり前、勉強も小学校にして8時間近くはやっていたはずだ。古文や文学史も勉強していたし、日本史はセンター試験用の参考書つかっていたりした。
勉強がたのしかったのだ。
小学校では授業中読書しかしなかった。お道具箱に入れた文庫本をひたすら読みあさり、先生に当たるとすぐ答えをいうという、まあ、先生にはちょっと嫌われていたのかもしれない。
あのときぼくは、自分に足りないのは経済力だけだとおもった。向学心といまのままの勢いがあれば、中学校でもきっと勉強したり部活をやったりするんだ、そうおもっていた。
そのあと中学校に補欠の後合格して、最初の半年はまだよかった。そのあとずーっと底辺に落ちていくことになった。あのあたりからぼくはどうもエリートの底辺意識のようなものをもって生きてきた気がする。過去の自分とこうありたいって言う自分にとらわれたりとか。そういうこと。抜けきらない自分へのいらだちと今の自分とのバランスをとる日々。
それは要するに邪魔なものだ。いまもそれがある気がする。
*****
24歳になった。
あれから一回りしてしまったのだな。とおもう。
今はなにもできないとおもう自分がいる。
こんなに能力があるじゃない、経験あるじゃないといわれても、ぼくにとって今はそう思えていない。
なんだか、昔とも似てる。
あまり長く生きようとも思わないけれど、死ぬときくらいはこういう鬱々からふっきれたいものだ。
*****
最後にステカムで常連、USのjk。ニッキーがムービーくれた。
仕事が早い。君はジェバンニか??
thx Nikki
http://img190.imageshack.us/img190/3954/moro.mp4