たまたま知人とセックスの話をしていた。
「好きな人とセックスするということ」と「そうでない人とセックスするということ」の話だ。
MORO自身、セックス=恋人、夫婦といったありがちなガチガチ既成概念にはとらわれない人であることをあらかじめ断っておく。
①好きな人とのセックスについて
自分が好きな相手と出来たらまずその時点で幸せなんだと思う。そこに喜びを増幅させておいた上でそのあと要因αが絡んでくる。α=体の相性、体調、相手からみた自分の好意レベルなどがあるだろう。それらによって性的快感が大きく変わっていくのだろう、あとは「波乗り」だと思う。フラットもあればオフショアもある。ずっとフラットの場合もあるんだがw
基本的にリア充な部類なのでこれ以上は触れない。あたしには関係ないだろうからw
②格別好きでない人とのセックスについて
自分から相手を好きにはならないっていうときって、あるじゃない。まあ相手が「まとも」な人で単純に自分のことが好きである旨を表現してきたときに、よくおちいる状況である。よく飲酒後などにエンカウント率があがることが知られている。
さて、これをよくただのヤリ○○などという表現をとり侮蔑する人もいるようだが、そういうことを言う人は深層心理とか本能とかそういう深いところを考えたことの無い人なんだなあ、とあたしはおもってしまう。
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なんとなく、「愛を感じたり与えたりする行為」と「性欲処理」(直球ストレートな表現で恐縮!)の2つのパラメーターを考えるとわかりいのではないか?ということで久しぶりに理系的に考えてみた。
ついでに動物だったらこんな分けること自体が意味がない。チンパンジーのように乱交型であればそもそも意味をもたないことはおわかりだろう。あくまで現代日本人に限って独断と偏見でつくってみた理論であることをあらかじめ明言しておく。

★がおそらく幸せなセックスパートナーだと考えられる。
○は愛情表現タプーリなんだけど、こうなんというか刺激無く、逝く前にいっちゃうみたいなことですな
□がいわゆるテクニシャンゾーンだろう。まあ、これはAVの見過ぎで自分までテクニシャンだと思う人は少なくないようだが限りなく×であることが多い
×は×である。セルフィッシュであることが多く、実は一番痛い子である。
なお、MOROの属するのがおそらく○をめざす×みたいなあたりだろうw経験値が足らないから仕方ない。

上記にしめした2つのグラフは☆とであう確率が低いですよ〜ということと現実の折り合いの話を表現してみた。
左はつまり浮気などが存在する理由そのものなのだが、結局★が手に入らないので対極と関係をもつことで最高のバランスであるY=X上でバランスをとろうというものだ。
距離がかけ離れれば両方の舵取りに苦労し振り回される、★にちかづいているほうのばあいはどちらも魅力レベルが高いため、よく不倫後奥さんと離婚したりするようなパターンがある気がする。エネルギー値が近すぎるときっと○と□は反発するのだとおもう。
右のグラフで楕円でくくったのが存在領域だ。おそらく恋愛で苦労しない人は少ないはずなので、☆のある第1象限は小さく、第3象限が一番多いはずだ。
そしてここが重要なのだが、宇宙の自然法則にあるように「万物はエントロピー(乱雑さ)が増大するように振る舞う」ので第1象限の☆の人たちは極めて高いエネルギー状態にいることになり、パンピーはエネルギーが低い。
エネルギーが高いということはお互い高ければ、幸せなのかもしれないが同時にリスクが大変高いということだと思う。
にもかかわらず、人というのはそれを求めて求めるのだ。
つまりあるラインまでは2人でいくとバランスがとれて、あるラインになると1人と一緒に(リスクを追いながら)いるというのが理屈上アリかなとおもわれる。
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が、現実の話をしよう。
そもそも存在領域が全く見えない現代社会になってしまっているので、上記の理屈は昭和以前の日本であればなりたったのかもしれない、そういえば娼婦制度、妾だったりというのがあったのはそういう時代だった。
現代は、地域コミュニティーの崩壊、核家族化にもとづく親戚との疎遠化→見合い婚の激減といった構図によって、バランスをとるもなにも相手がいねーよ。という状況である。そりゃセックスレスにもなったりするかもね、相手が見つかって御の字じゃないですか。それより窮するものがあるんだ、というのが多いんだろうな。
おそらくエンカウントする確率もかなり偏りがあるのだろう、バランスをとりにくい社会になっているのだ。
セックスが楽しめない国家は基本的に滅びる、と思う。人口減という意味もあるし、国民の幸福値が継続的に減少するからだ。
結局、どっちにころんでもいいぜ、という気概で恋愛にも環境に最適化する独自のバランスを作り出す自由度が必要だということだ。女の子2人と付き合った方が自分のバランスがとれるならそうすべきだし、結果リスクが高ければ一人と決めるのもいいだろう。あるいは結婚はしない、つねにサーフィンのように良い波に乗るという発想で太く短く生きるのもいいだろう。
結論としては、バランスがとれるかたちであればそれぞれ価値があるし、どちらにも実は甲乙はないのだ、ということなんだと思う、だから、好きな人との愛あるセックスが幸せというのは勝手な妄想なのかもしれない。
乱交型にもどれれば一番楽です。ほんと。